【web連載】須藤遙子「愛妹通信―自衛隊広報レポート」第13回

大刀洗平和記念館と戦跡めぐり

 

 

愛妹。九州では、4月に起きた熊本地震の影響がまだ続いています。この地震でも、多くの自衛隊員が任務にあたりました。1回目の地震が起きた4月14日には熊本県知事から、2回目の地震が起きた16日には大分県知事から災害派遣要請があり、九州を担当する西部方面隊はもちろん、北海道から四国地方までの陸上自衛隊を中心とする各自衛隊が集結して、人命救助や生活支援を行いました。4月25日現在の防衛省の報告によると、人員約26,000名(延べ約205,200名)、航空機113機(延べ986機)、艦船12隻(延べ132隻)が派遣されたということです。これに伴い、4月5月に予定されていた九州内での広報イベントがほとんど中止となりました。それもあり、今回は自衛隊の施設ではありませんが、旧陸軍の飛行場があった大刀洗平和記念館と記念館主催の戦跡めぐりのことを書こうと思います。

 

この記念館は、福岡市の中心から南に1時間ほどの距離にあります。私鉄の駅から1両しかないワンマン電車に乗り換え、のどかな田園風景を楽しみながら15分ほどで記念館のある駅に着きます。近くにビール工場があるので、あちこちに麦畑が広がっているなかに建つまだ新しい記念館は、2009年の開館からの来場者数が90万人を超えているそうです。人口3万人弱の筑前町の町立施設としては、驚異的な数字ともいえるでしょう。キャッチフレーズの「平和の大切さを語り継ぐ情報発信基地」という言葉どおり、平和学習の目的で、九州地区だけでなく全国から見学に訪れていると説明がありました。館内では、戦争の悲惨さを伝える大刀洗が舞台のショートムービーが上映され、ボランティアによる熱のこもった朗読に涙を流す来場者もいて、自衛隊の広報施設とは異なる趣向が凝らされていました。

 

 
大刀洗平和記念館入口にある「第五航空教育隊」の碑

 

館内には、復元された当時の戦闘機が二種類展示されています。いわゆる零戦の「零式艦上戦闘機三二型」と、1996年に博多湾の海中から引き揚げられて復元された「九七式戦闘機」です。零戦だけは撮影が可能で、見学用の階段がついていたので、操縦席までじっくりと見ることができました。零戦の復元機は第7回で紹介したエアーパークにもあり、他でも何回か見たことがありますが、何度見てもとても小さく、その目的や歴史を無視すれば「可愛らしい」飛行機です。当然小回りがきき、燃料を満タンにすると2000キロもの飛行が可能だったほど燃費も良かったとか。記念館2階の天井にはアメリカのB29爆撃機のシルエットが描かれているのですが、零戦を見た後では非常に大きく感じました。零戦の長さ4倍、重さ30倍にもなる敵機に向かっていく心境はどんなものだったでしょうね。「九七式戦闘機」のほうは長く海中にあったためか、復元されて綺麗にはなっているものの、零戦より少し機体が小さいはずなのに、歴史の重みをそのまま纏ったかのように重厚な印象を受けました。

 


零戦の操縦席

 

記念館を含む現在の筑前町、大刀洗町、朝倉市、小郡市にまたがる119万坪にもなる広大なエリアが、旧陸軍が「東洋一」を誇った大刀洗飛行場を中心とする一大軍都でした。大刀洗飛行場の設立は1919年、全国で4番目にできた飛行場です。日本が既に大陸への侵出を開始していた時代なので、地理的な近さから中国への中継基地としての役目を担っていました。飛行場建設にあたっては、①どこの浜からも40㎞以上離れている、②高い山などが無い、③天候が安定している、④土地買収が容易、という条件があり、それをクリアしたのが大刀洗だったのです。現在の記念館近くにあった商店街には、100軒もの店が軒を連ね、家族と別れる場所だったために「涙の駅」と言われた当時の大刀洗駅の1日の乗降客は、1〜2万人にも達したそうです。現在の茫漠とした風景からは想像もできないような賑わいだったのでしょう。

 

年季の入ったマイクロバスに乗っての2時間ほどの戦跡めぐりでは、憲兵隊分遣隊舎・煉瓦塀、時計台跡・飛行四聯隊門柱、監的壕、滑走路跡、監視壕など、車内見学を含めて15ヶ所ほどを見て回りました。監的壕というのは、人が数名ほど入れる分厚いコンクリートで造られたドーム状のもので、射撃や砲撃の着弾点や命中率を確認するための水平の窓が開いています。一方、監視壕は敵機を発見する目的のもので、監的壕よりずっと小ぶりで、四方に開いた窓もかなり小さかったです。大刀洗飛行場には当時2つの飛行場があり、南飛行場は野原だったので、雨が降ると水たまりができて飛べないからと、終戦も近い昭和19年から朝鮮の人びとも動員して突貫工事で北飛行場を造ったそうです。今見ると、滑走路のコンクリートは石がたくさん混じってかなり粗悪に思えますが、非常に分厚く敷かれているために、住宅地へ払い下げになった後も剥がすことが難しく、そのまま家が建てられたと説明されました。

 


監的壕

 

 

 
監視壕

 

大刀洗陸軍飛行学校は、陸軍パイロットの5分の2にあたる1万人が卒業しました。特攻隊で有名な鹿児島の知覧教育隊は、この大刀洗の分校にあたります。この学校は当時の少年たちの憧れの的で、難関を突破して全国から集まった14歳から16歳の少年飛行兵2000人が、最後の卒業生になったということです。敗戦が間近に迫った1945年3月27日と31日の2回の大刀洗大空襲で、街は壊滅的な被害を受けました。最初の空襲では、B29の大編隊から1000発近い爆弾が落とされ、ちょうど卒業式の日だった小学生たちも被害に遭いました。戦跡めぐりに参加した25名のなかに、16歳のときに航空機の生産や整備等を担う軍需工場の航空廠(しょう)に勤めていたという男性がいましたが、彼の少なくない仲間もおそらく犠牲になったのではないでしょうか。

 

愛妹。「若い」というより「幼い」といったほうがふさわしいような年齢の子たちが、率先してパイロットになり、たった5ヶ月の訓練で部隊に配備されていったという状況は、本当に異常としか言えません。特攻隊にならずとも、工場で激しい労働をしたり、空襲で命を落としたりと、戦争にいいことなど一つも無いと改めて思いました。この記念館が、いつまでも平和を語り継ぐ場所として機能することを強く願うばかりです。

 

 
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★「愛妹(あいまい)」の由来については、こちらをお読みください。

 

 

★連載第1回「防衛省市ヶ谷台ツアー」
★連載第2回「陸上自衛隊広報センター「りっくんランド」」
★連載第3回「海上自衛隊第1術科学校
★連載第4回「平成27年度富士総合火力演習」
★連載第5回「防衛大学校見学ツアー」
★連載第6回「アメリカ海軍兵学校見学ツアー」
★連載第7回「航空自衛隊浜松広報館「エアーパーク」」
★連載第8回「艦艇公開 護衛艦さみだれ」
★連載第9回「アニメ『ガールズ&パンツァー』」
★連載第10海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」
★連載第11回「航空自衛隊春日基地見学」

★連載第12「陸上自衛隊久留米駐屯地一般開放」

 


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[プロフィール]
すどうのりこ/1969年生まれ。横浜市立大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。メディア学、文化政治学。現在、筑紫女学園大学現代社会学部准教授。著書に、『自衛隊協力映画――『今日もわれ大空にあり』から『名探偵コナン』まで』(大月書店、2013年)。

 

 

 

※この連載は、日本学術振興会科学研究費助成事業挑戦的萌芽研究「自衛隊広報のエンターテインメント化に関するフィールドワーク研究」(平成27年度~29年度)の成果を一部発表するものです。

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