【web連載】須藤遙子「愛妹通信―自衛隊広報レポート」第33回

グアム太平洋戦争記念館、平和慰霊公苑

 

愛妹。自衛隊のイベントではありませんが、今回はグアムの戦争関連施設について書きたいと思います。




グアムは、日本の各主要都市から飛行機で4時間弱ほどのミクロネシア諸島にあるアメリカの島です。地理的にも金額的にも手軽なリゾート地として、日本では人気の高い場所ですね。日本人観光客が多いので、島内では日本語だけでも困ることは滅多にありません。

明るいイメージのグアムですが、戦争中は日本とアメリカが激しく戦った地でもあり、あちこちに旧日本軍の塹壕や防空壕などの戦争遺跡が今でもたくさん残っています。今回は遺跡そのものではなく、戦争記念館と慰霊施設に行ってきました。




日米の開戦は、1941年12月8日の日本によるハワイの真珠湾攻撃がきっかけですが、その2日後に日本はグアムを攻撃して占領し、その後2年7ヵ月の間は「大宮島」と改名して統治していました。

1944年7月には、再びアメリカによって奪還されます。つまりグアムは、太平洋戦争中に日本からもアメリカからも攻撃されたことになりますね。沖縄にも通じますが、のんびりした南の島は強国の支配を受けやすくなってしまうのでしょうか。




最初に訪れたのは、太平洋戦争国立歴史公園の中にある太平洋戦争記念館です。記念館の前には、旧日本軍の二人乗りの潜水艦が展示されています。

以前訪れたアメリカ本土の海軍兵学校にも日本の潜水艦が展示されているのを見ましたが、それがいかにも「戦勝品」のようであまりいい気持ちがしなかったのに比べ、この潜水艦を含めてグアムで見た旧日本軍の遺品はどれも「慰霊」の意味が込められているように感じました。

これは、グアムでは何十万という日本兵が実際に亡くなっているのに対し、アメリカ本土はほぼ他国からの攻撃を受けたことがないことと関係しているのかもしれませんね。

とはいえ、記念館の中に入ると、敵国・日本がどのようにグアムに侵出し、アメリカが奪還したかということが映像、写真、展示品などで英語と日本語を併記して詳しく解説されています。戦中の日本のプロパガンダ資料もずいぶんたくさんありました。

印象的だったのは、「We Can Forgive, But We Must Never Forget」と書かれたパネルです。この「許せても、決して忘れてはいけない」という文言は、中国の南京大虐殺紀念館で見たものと全く同じです。戦中に日本はそれだけのことをしたのだという思いとともに、加害・被害の記憶がどのように伝えられるのかという一つの典型も見た気がしました。

館内のショップには、戦争関連の書物がたくさん置かれていましたよ。






次に行ったのは、タロフォフォの滝公園です。この滝のそばに、終戦を知らぬまま28年間も潜伏生活を送っていた横井庄一さんが隠れていた横井ケーブといわれる洞穴があります。

一般公開されているのはレプリカの穴でしたが、滝から5、6分ほど歩いた川の近くのじめじめとしたジャングルの中にあり、当時の様子を十分想像することができました。水や食べ物はなんとか調達できたとしても、穴の中で孤独に過酷に過ごした長い年月を思うと、本当に気が遠くなりましたね。

流行語となった「恥ずかしながら帰ってまいりました」という横井さんの言葉も、生きながらえたことを恥とするような当時の軍部の残酷さをよく表していると思います。






この公園内には、Guam History Museumという小さな博物館があります。展示はイラストとフィギュアという、博物館というにはかなり粗末な内容でしたが、先住民であるチャモロ人の視点からグアムの歴史を描いていることが興味深かったですね。

スペイン統治時代、アメリカによる支配、日本占領時代、米国への再編入と、チャモロ人はずっと外国人に支配され続けてきました。1669年にはキリスト教文化の徹底を図ったスペイン人と地元チャモロ人との間で戦争が起こり、このときには10万人はいたとされるチャモロ人が5000人まで減るほどの徹底的な弾圧が行われたそうです。グアム政府観光局によると、現在では人口の85%がカトリック教徒ということですが、そこに至るまでは壮絶な歴史があったのですね。

他の国のパネルよりも残酷さは軽減されていたとはいえ、米国占領時代のパネルもしっかりあったところが印象的でした。




最後は、財団法人南太平洋戦没者慰霊協会が建設した平和慰霊公苑を訪れました。ここは、米軍上陸の際に日本軍の指揮をとった小畑英良中将が、激しい攻撃のなかで60名あまりの部下と自決した場所です。

公苑内には、慰霊塔と我無山平和寺という「平和祈りの家」があります。慰霊塔の前には、日の丸、星条旗、グアムの旗が青空にたなびいていました。周囲には、いろいろな団体や各部隊の遺族らによる慰霊碑もたくさん建てられています。

今となっては本当にのどかな場所なのですが、ここにもたくさんの遺骨が発掘されないままに眠っているかと思うと、とても虚しくなりましたよ。




近年グアムでは日本人よりも韓国人観光客が目立つようになり、2017年は日本での北朝鮮ミサイル問題の過熱報道もあったので、私が行ったときは年末にもかかわらず観光客自体が相当少なく、割合としては韓国人観光客が圧倒的に多かったですね。景気が悪いために閉めてしまった店もいくつか見ました。グアムは現在でも大国の軍事に左右されているようです。



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 [プロフィール]
すどうのりこ/1969年生まれ。横浜市立大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。メディア学、文化政治学。現在、筑紫女学園大学現代社会学部准教授。著書に、『自衛隊協力映画――『今日もわれ大空にあり』から『名探偵コナン』まで』(大月書店、2013年)。

 

 

※この連載は、日本学術振興会科学研究費助成事業挑戦的萌芽研究「自衛隊広報のエンターテインメント化に関するフィールドワーク研究」(平成27年度~29年度)の成果を一部発表するものです。

 

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