【web連載】須藤遙子「愛妹通信―自衛隊広報レポート」第34回

沖縄戦跡国定公園、沖縄県平和祈念資料館

愛妹。前回はグアムの太平洋戦争国立歴史公園の中にある太平洋戦争記念館のことを書きました。今回も自衛隊のイベントではありませんが、同じ太平洋戦争で最大規模の戦闘が行われ、20数万人もの死者を出した沖縄にある戦跡公園と資料館のことを書きたいと思います。

資料館の案内板には「沖縄戦は日本に於ける唯一の県民を総動員した地上戦」であり、「沖縄戦の何よりの特徴は、軍人よりも一般住民の戦死者がはるかに上まわっていることにあり、その数は10数万人におよびました」と書かれていました。

よく知られているように、味方であるはずの日本軍によって結果的に自決に追い込まれた人々も多く、本土の人間である「ヤマトンチュ」への沖縄人「ウチナンチュ」の感情には現在でも複雑なものがあります。



沖縄戦跡国定公園は、沖縄がまだアメリカの統治下にあった時代に琉球政府によって整備が始まり、1972年の本土復帰に伴って国定公園となったそうです。小高い丘にあるこの公園からは、美しく険しい海岸線を見渡すことができます。

この中に県営の平和祈念公園があり、広い敷地には平和祈念資料館、平和の礎、平和祈念堂、霊域と呼ばれる国立戦没者墓苑や各県の慰霊塔や慰霊碑などが点在しています。

歩いて回るのはかなり大変なので、まず霊域を巡る有料の電気自動車に乗り、菅笠をかぶった運転手さんの説明を聞きました。出身県を聞かれて不思議に思っていると、その慰霊碑のところではお参りするための時間をとってくれたのでした。

車内から見ていると全国ほとんどの地域の慰霊碑があったことにまず驚き、別の場所を入れれば全都道府県の慰霊碑が沖縄にあると知って仰天しました。知識としては全国から南方戦線に向かったと分かってはいても、延々と続く県名を刻んだ慰霊碑を見ていると気が遠くなる思いでした。




平和の礎は、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑ということで、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して1995年6月23日に建設されました。

終戦記念日というと8月15日が通例ですが、沖縄では沖縄戦の終結の日とされる6月23日が「慰霊の日」として県制定の記念日となっています。礎と書いて「いしじ」と読むのですが、これは「いしずえ」の沖縄方言だそうです。

黒い御影石には地域ごとに犠牲者の名前が刻まれており、平和の広場を中心にして放射状に円弧を描いて配置されていました。ところどころに新しい花が置かれており、親族や知人が時々お参りに来ているようでしたよ。

県の慰霊塔は木々が茂る山の斜面に作られていて、暗くもの悲しい印象があるのに比べ、平和の礎はなだらかな丘に広々と広がっているせいか、穏やかに今の平和を感謝する気持ちになりました。




平和の広場では、修学旅行で来た中学生が慰霊の折り鶴を持ってきていて、戦争に関する先生の話を聞いていました。公園内には本当にたくさんの中学生、高校生が来ていましたよ。

中央には平和の火が灯された小さな池があり、底に描かれた中国大陸のはしっこと日本列島が、水の中でゆらゆらと揺れていました。明るい太陽の下でそれを見ると、なんだか亡くなった人が天から見ている光景のように私には感じました。




平和祈念資料館は、海側から眺めるとゴージャスなリゾートマンションのようにも見える美しい建物です。白壁と赤瓦が特徴ですが、これは昔の沖縄の集落をイメージしており、大小130個の様々な形をした屋根には魔除けのシーサーもたくさん乗っているということです。

常設展示室は「住民の視点で捉えた沖縄戦」を展示理念としているということで、実物資料や写真パネルに加え、沖縄戦体験者数百人の証言文や証言映像で当時の悲惨さを伝えていました。私が一番印象に残ったのは、かなりの老人や少女を含む小さな子どもすら兵士となった姿の写真です。緊張と苦痛で顔が歪んでいるのが本当に痛ましかったですね。



公園の端のほうにウタキと思われる場所があったので行ってみました。沖縄では斎場御嶽(セーファーウタキ)が有名ですが、ウタキというのは沖縄独特の祭祀場のことです。

草原の中を細い踏み分け道が続いており、それが大きな岩の手前で岸壁のほうに折れ、遥か下の海岸まで続いているようでした。危険なのでとても崖下までは行けませんでしたが、人が定期的に通っているので道がしっかりとついていましたよ。

戦争中もきっとこの場所で祈っていたのでしょうし、迫り来るアメリカ軍、もしかしたら日本軍から逃れるために、この急な坂道を海岸まで走って逃げたのかもしれない、彼らはうまく逃げられたのだろうか、追ってきた兵士たちもどうなったのだろうか、と岩に挟まれた細い道から空を見て様々なことを思いました。



戦争になると、被害者と加害者の立場は簡単に逆転します。この平和祈念公園では「沖縄のこころ」という言葉で敵味方すべての人々を慰霊しているのでしょう。


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 [プロフィール]
すどうのりこ/1969年生まれ。横浜市立大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。メディア学、文化政治学。現在、筑紫女学園大学現代社会学部准教授。著書に、『自衛隊協力映画――『今日もわれ大空にあり』から『名探偵コナン』まで』(大月書店、2013年)。

 

 

※この連載は、日本学術振興会科学研究費助成事業挑戦的萌芽研究「自衛隊広報のエンターテインメント化に関するフィールドワーク研究」(平成27年度~29年度)の成果を一部発表するものです。

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