【web連載】金城正洋「真南風(ぱいかじ)の島から」第10回

そういえば……
金城正洋(琉球朝日放送報道部記者)


ダンプが走っていく。さとうきびを満載にして。農家が丹精こめて1年半から2年の歳月をかけて育てたさとうきびを載せて製糖工場に向かっていく。車の窓ガラスを全開にしてさとうきびの甘い香りを全身で受け止める。製糖工場の煙突からは白い煙が上がっている。この季節、沖縄では製糖工場の操業がピークを迎えている。沖縄本島南部の製糖工場。ダンプから降ろされたさとうきびはベルトコンベアーで工場内へと運び込まれていく。圧搾機械で絞られたさとうきびの汁は煮詰められ、さまざまな工程を経て砂糖や粗糖(ざらめ)となる。

そういえば、小さい頃、学校の休みに仲間と連れ立って海や山で遊びまわった。アスファルトのないでこぼこだらけの土煙が舞い上がる狭い農道を行くと、さとうきびを積んだトラックが通り過ぎる。トラックの後ろを追いかけ、荷台のさとうきびを1〜2本つかむ。山積みになったさとうきびはつかんだ本数分、するっと抜ける。さとうきびの節々を膝で折り、みんなで分け合う。硬い皮を歯でむき、中の繊維質をかじる。口いっぱいに甘さが広がる。

沖縄の農業はさとうきびが基幹作物である。台風や干ばつに遭いながらも農家のくらしを支えてきた。近年では農家の高齢化などとともに野菜や熱帯果樹栽培などへの転換が進み、さとうきびの生産量は減少傾向にある。しかし、だからといって誰もが他の作物に転換するとは限らない。野菜や熱帯果樹などはビニールハウスでの栽培が中心となっており、ハウスの建設には多額の費用を要するからだ。逆にさとうきびは植え付け時と収穫時以外はあまり労力を要しないため植え付け面積の拡大と糖度を上げる肥培管理さえしっかりすれば育ってくれる作物なのだ。

沖縄の農業で忘れてはならないものがある。パインである。戦前、台湾から持ち込まれたパインは石垣島(いしがきじま)や西表島(いりおもてじま)、沖縄本島北部の強酸性土壌で栽培された。多くの工場で加工され、パイン缶詰として県外へ出荷されるなど、戦後の一時期はパイン景気に沸いた。

ところが1996年を最後に県内のパイン加工工場は姿を消す。まさに沖縄のパイン産業の歴史は外国産の安価な輸入パインとの競い合いでもあった。しかも1990年にはパイン缶詰の輸入自由化が始まり、沖縄産のパイン缶詰はとうてい太刀打ちできなくなった。このためとられた措置が「TQ制度」。パイン生産農家やパイン加工工場を保護する目的で、国内のパイン缶詰輸入業者が沖縄県産パイン缶詰を1缶買うと、輸入パイン缶詰が複数缶無税扱いとなる措置である。

この制度で生産農家や工場、輸入業者にメリットが生じた。しかし、外国産の安価なパインの輸入も進んだため、沖縄のパイン加工工場は結果的に経営が成り立たなくなり、96年にいったん全ての工場が閉鎖された(その後、沖縄本島北部で1社が操業を開始している)。パイン産業の灯は消えたのか。否である。沖縄県や関係機関では缶詰ではなく果実、青果用として品種改良に乗り出し、生産農家の努力もあって、今では贈答用としての用途が広がっている。

先の野田民主党政権に続き、安倍自民党政権は環太平洋連携協定(TPP)交渉参加に意欲を見せている。例外なき関税撤廃といわれるTPP交渉については、「日本の農業がつぶれる」とJAが猛反対している。零細規模の沖縄の農家にとってはまさに死活問題である。生産から加工、流通、販売までを高い付加価値をつけて消費者に届けるシステム「第6次産業」が脚光を浴びてきた矢先。その農産物が関税なしに輸入され、この国の市場を席巻する。ただでさえ食料自給率が低い国だというのにである。

そういえば、90年のパイン缶詰輸入自由化と似ていないか。当時は「TQ制度」という農産物保護措置がとられたが、TPPは例外なき関税撤廃の自由競争である。沖縄本島南部。寒空の下でさとうきびの刈り取り作業をしていた農家は「TPP? 沖縄の農地は荒れ果てるさ。基地になるか、本土業者に買い占められてゴルフ場かマンションになるのではないか」と将来を憂いていた。

企業が安い賃金を求めて東南アジアに進出し、ドーナツ化減少が進んだ結果、国内の労働者の多くが職を失った。海外で生産された商品は逆輸入され、中小零細企業は倒産が相次いだ。年間の自殺者が3万人という現実。技術力も海外に流出し続けているという。そこに例外なき関税撤廃。どうなるこの「美しい日本」である。


収穫されたサトウキビの山とトラック

さとうきびの操業がピークを迎えた沖縄本島南部の製糖工場。政府のTPP参加は沖縄農業に壊滅的打撃を与えるとして反対を掲げる(豊見城市 2013年2月20日)


先月1月27日、東京・日比谷野外音楽堂で「オスプレイ配備反対東京集会」が開かれた。沖縄の全41市町村長と議会議長、県議会議員らの東京行動の一環だった。翌日には安倍首相をはじめ関係閣僚や政党への要請もあった。

日比谷野音での東京集会には、沖縄県人会やオスプレイに反対する人々4000人が集まったという。そして街頭デモ行進。ところがだ。『沖縄タイムス』や『琉球新報』によると、市町村長や議長らの行進団に対し、街頭から「オスプレイがいやなら日本から出て行け」「琉球人は出て行け」という罵声が浴びせられたという。

東京行動から戻った県議会議員に聞いた。県議は「沖縄県民の総意としての東京行動だった。琉球人は出て行けという罵声には本当にはらわたが煮えくり返ったよ」と怒った。べつの県議は「でもな、これが今の日本の現実だよ。差別と弱いものいじめ。恐ろしい時代になったもんだ」とつぶやいた。


オスプレイ配備反対東京行動を伝える新聞一面

沖縄県全41市町村長と議長、県議らが行なった「オスプレイ配備反対東京行動」を伝える『沖縄タイムス』と『琉球新報』の紙面(2013年1月28日付)


2月に入って安倍首相、岸田外務大臣が相次いで沖縄を訪れた。会談場所は沖縄県庁ではなしに那覇市内のホテル。取材も冒頭の数分間だけと異例づくめ。内容は就任報告と沖縄振興予算の話。だが、その後の安倍首相の国会内外での発言は、アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古(なごし へのこ)への移設を強行しようとする姿勢に変わりはなかった。県民の総意である東京行動の重みも意に介さずにである。

尖閣(せんかく)諸島問題での中国との関係や北朝鮮が言う衛星打ち上げ問題などでは沖縄の自衛隊の動きが派手さを増した。米韓合同軍事訓練では普天間基地のオスプレイが韓国まで飛んだ。タイでの日米合同軍事演習では自衛隊が海外で訓練を行ない、グアムではオスプレイに搭乗している。

そういえば、沖縄の自衛隊、出退勤時は普通の服装だった。それが有事法制の成立の頃から陸自、空自、海自の制服姿に変わった。そしてここ数年、朝夕の陸自基地の付近では迷彩服姿が目立つようになった。「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の体験から県民の自衛隊アレルギーは強い。迷彩服姿での出退勤は、戦場かと思うほど異様に映る。

昔、信濃毎日新聞主筆の桐生悠々(きりゅう ゆうゆう)が書いた原稿をかみ締める。「だから、言ったではないか」。1936年の「2・26事件」のことである。軍部が暴走し始めたことを的確にとらえ、それまで警鐘を鳴らしてきた桐生悠々の叫びは「だから、言ったではないか」に凝縮される。

そして15年戦争の泥沼に入り込んで行く。1933年、軍部の大規模な防空演習が行なわれることになった。関東防空大演習である。ジャーナリストや研究者によって桐生悠々の当時の評価は分かれるが、軍部の演習は火を消すための「バケツリレー」などだったという。桐生悠々は「関東防空大演習を嗤(わら)う」という記事を書き、軍部の反発を買う。それから12年後の1945年、アメリカ軍は沖縄に上陸した。

軍部の暴走と15年戦争、そして凄惨さを極めた沖縄戦、広島・長崎への原爆投下。北方問題や竹島、尖閣問題で一触即発になろうとしている状況のいまと何が変わりあるのだろうか。沖縄はアメリカ軍と自衛隊が闊歩する要塞、昔の中曽根康弘首相が言った「不沈空母」たらんとするのか。それとも、東南アジアの非武装中立平和の位置づけとするのか。もちろん、沖縄県民の答えは東京行動で示された。

あとは、この国がどこへ向かおうとしているのかだ。桐生悠々の「だから、言ったではないか」では、遅い。いま言うべきことは、「おかしい」ということを、みんなが声に出して行動すべきではないか。

そういえば、東日本大震災と福島東電原発事故。まだ何も終わっていない。何も片付いていない。福島の避難地域の人々は生活の場所にさえ未来永劫、帰れない。ロシアのチェリノブイリ原発事故の地域のように。

「そういえば……」

フランク・パヴロフの『茶色の朝』(大月書店)の内容が、そうだった。桐生悠々の記事も、そうだった。繰り返しになる。「だから、言ったではないか……」、「そういえば、あの時おかしいと思ったけど……」

果たして、これでいいのだろうか。

「……」では、遅すぎるのである。


「真南風(ぱいかじ)の島から」(全12回)
■2012年5月・第1回(歩くことで見えてくる沖縄 戦後67年 復帰40年 5.15平和行進で考える基地・沖縄)はこちらから
■2012年6月・第2回(木陰と風と、祈りと怒りの季節を迎えた沖縄)はこちらから
■2012年7月・第3回(「欠陥機」オスプレイが日本全国を飛び回る アメリカ軍普天間基地への配備強行で沖縄は島ぐるみ闘争へ)はこちらから
■2012年8月・第4回(沖縄の夏は勇壮な「エイサー」が彩りを添える)はこちらから
■2012年9月・第5回(「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」に10万人結集)はこちらから
■2012年10月・第6回(歴史の始まり 「非暴力」でアメリカ軍普天間基地を封鎖)はこちらから
■2012年11月・第7回(沖縄八重山諸島の3人の唄者(うたしゃ))はこちらから
■2012年12月・第8回(歴史に学ばないこの国とは?)はこちらから
■2013年1月・第9回(憲法を生かす国民の不断の努力)はこちらから
■2013年2月・第10回(そういえば……)はこちらから
■2013年3月・第11回(うりずん(初夏)の季節を迎えた沖縄)はこちらから
■2013年4月・第12回(サヨナラは笑顔で。)はこちらから


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金城正洋(きんじょう まさひろ)
沖縄県石垣市生まれ。沖縄の琉球朝日放送報道部記者。石垣島と八重山諸島の過酷な歴史と人々の交流、受け継がれてきた文化を伝える琉球朝日放送開局15周年 記念特番「あんじやだ!〜むかし石垣・八重山〜」(2010年)を手掛ける。2011年には、2006年に結成された琉球朝日放送労働組合の初代執行委員 長としてねばり強いたたかいから職場の非正規労働者全員の正社員化を実現し話題になった。ほかに、『週刊金曜日』への寄稿「『歴史改竄』にうずまく沖縄の 怒り 9.29に島ぐるみの"反転攻撃"」、「土地収用法で反対派に揺さぶり 『軍用』の懸念残る石垣島空港」、『教育と文化』(48号)にルポ「教科書 検定に沖縄県民の怒りが広がる」(いずれも2007年)など。

 

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