【web連載】金城正洋「真南風(ぱいかじ)の島から」第12回(最終回)

サヨナラは笑顔で。
金城正洋(琉球朝日放送報道部記者)


グラジオラスの花が咲いている。この時期、白い花を咲かせるユリと、遅まきながら黄色を包んだ真っ赤グラジオラスの花が交差して沖縄の「うりずん」(初夏)の季節に彩を添えてくれる。

旧暦の3月3日(今年は4月12日)前後、沖縄の海は潮の干満の差が大きい。干潮時には砂浜からリーフまでのイノー(礁池)が干上がり、モズクやタコ、貝採りなど、豊な海の恵みを求めて多くの人が「浜下り(はまおり)」を楽しむ。昔から伝わる伝統行事である。


道路沿いに咲く赤いグラジオラスと青い空

初夏に咲き出すグラジオラス(糸満市 2013年4月13日)

遠くまでつづく浅瀬で浜下りを楽しむたくさんのひとびと

浜下りでモズクや貝採りを楽しむ人たち(糸満市名城海岸 2013年4月11日)


今月初め、南風原町(はえばるちょう)で写真展があった。開いたのは鹿児島県の種子島在住の知人。展示写真は種子島の西、わずかな距離に浮かぶ馬毛島(まげしま)を撮ったものだ。馬毛島は以前、多くの人が住み、学校もあった。だが、集団で種子島に移住したため、今では無人島となっている。

馬毛島は、沖縄にあるアメリカ軍普天間基地の移設候補地にも上がった島として知られる。緑に覆われたこの島を切り裂くように、2本の白い線が交差する。まるで島に巨大な十字架を横たえたようなさまは、異様としか言いようがない。知人は「あれは4000メートル級と2000メートル級の2つの滑走路を造るための開発だ」と説明した。

普天間基地の移設候補地として揺れた島は、今、アメリカ軍の空母艦載機の訓練場誘致問題で揺れる。緑豊な島は固有種のマゲシカが生息しているが、開発が進むと絶滅の危機に直面するだろう。「種子島でも基地問題は沖縄の問題だと思っている人もいるが、馬毛島が軍事的に利用されようとしている現状を知ってほしいし、沖縄の基地問題にも関心を持ってもらいたい」と知人は話した。

基地と環境問題。人々の「無視」と「無関心」が、いつか取り返しのつかない事態になるであろうことを懸念する。


青い海に囲まれた小さな島と二頭の鹿

【写真左】アメリカ軍普天間基地の移設候補地にもなった鹿児島県の馬毛島。緑の島の白い十字架状に見えるところは軍事滑走路の計画予定地
【写真右】今では無人島となった馬毛島に生息するマゲシカ


4月18日午後、那覇新港に民間のフェリーが接岸した。陸揚げされたのは自衛隊の迎撃ミサイル「PAC3」だ。市民団体や港湾で働く労組員らが抗議の声を上げる前を、物々しい警備車両にはさまれて陸上自衛隊那覇基地と南城市知念(なんじょうしちねん)にある陸自知念分屯地の2箇所に運び込まれた。政府は「PAC2」に変わる機種変更だという。今後も順次、増強配備が予定されている。

全港湾沖縄地方本部の大城盛雄(おおしろ もりお)委員長は「那覇港は軍事のために造った港ではない。民間港の軍事利用は許さない」とこぶしを上げた。沖縄平和運動センターの山本隆司(やまもと たかし)副議長は「沖縄戦の教訓は、軍隊は住民を守らないということだ」とした上で、自衛隊の機能強化がなし崩し的になっていく状況に怒りをあらわにした。


雨に濡れて黒々した迎撃ミサイルPAC3のうしろに那覇のマンションが見える

迎撃ミサイルPAC3が陸揚げされ、沖縄の2か所の自衛隊基地に向かう(那覇新港 2013年4月18日)

「PAC3配備反対! 那覇港の軍事利用を許さない緊急抗議集会」の横断幕と報道陣

PAC3の配備に抗議する沖縄平和運動センターや全港湾の労組員ら(那覇新港 2013年4月18日)


沖縄に駐留するアメリカ海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの訓練は激化し、嘉手納基地のアメリカ空軍戦闘機は相変わらず爆音を撒き散らしている。住民生活への影響は計り知れない。「過重な基地負担の軽減」(政府)どころか、この島は戦場かと錯覚するほどである。

政府は4月28日を「主権回復の日」として式典を開催するという。1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約の発効によって日本に主権が戻ったという捉え方だ。逆に沖縄は奄美と小笠原とともにアメリカの信託統治下に置かれた。この日、講和条約発効と同時に日米安全保障条約も発効し、沖縄は1972年5月15日に復帰するまで日本から切り離された。1945年から27年間におよぶアメリカ軍の圧政に苦しみ、現在も基地の過重な負担は続いている。4・28に対する沖縄の県民感情は「屈辱の日」として刻み込まれているのだ。

政府からの式典出席の案内に仲井真弘多(なかいま ひろかず)知事は、県民感情に配慮して自らは出席せず、副知事の代理出席を決めた。

県議会は野党会派が中心となって県民に呼びかけ、4月28日に宜野湾市(ぎのわんし)の宜野湾海浜公園屋外劇場で抗議大会を開く。実行委員会では「政府があえて主権回復をいうのであれば、4月28日に切り離されて最後に残った沖縄が復帰した5月15日ではないのか」と指摘する。

県内の各市町村でも4月28日に向け「屈辱の日」という県民感情をあらわす色の旗を掲げたり、リボンをつけたり、大会参加の呼び掛けなど独自の取り組みを検討している。

復帰運動の先頭に立った屋良朝苗(やら ちょうびょう)公選主席(復帰後の初代知事)を特別秘書官として支えた大城盛三(おおしろ せいぞう)さんは「屋良さんが生きていたら真っ先に怒っただろう」と話した。沖縄戦での犠牲、アメリカ軍統治における辛酸、復帰後も続く基地被害。沖縄県民が日米両政府に押し付けられてきた犠牲の歴史を無視するものだと大城さんは憤る。82歳になる大城さんは、4月28日の抗議大会に参加することを決めている。

日本から切り離された「4・28」、復帰の「5・15」、沖縄戦の組織的抵抗が終わったとされる慰霊の日の「6・23」。沖縄にとって現在も変わらぬ符号である。

4月、沖縄では真っ赤な「デイゴ」の花が新入生を迎えた。ぴかぴかのランドセルを背負った子どもたちがこれからこの沖縄を背負っていくのだろう。今を生きる私たちおとなが、子どもたちに引き継げるものはあるのだろうか。胸を張って「平和で豊かな沖縄だ」とバトンタッチできるものはあるのだろうか。

あると信じたい。それが、今を生きる私たちおとなの責任なのだから。


大月書店の編集者のすすめに応じて2012年5月から1年間の約束で、月1回の連載をさせていただきました。しかしそれも今回で終了です。沖縄の現状や歴史、文化など少しでも知っていただければと駄文を綴りました。沖縄について一緒に考えていただけたのなら幸いです。サヨナラは笑顔で。1年間のお付き合い、有り難うございました。


赤い花をつけたデイゴの木と青い空

沖縄の県花「デイゴ」。真っ赤な花は今の沖縄の「怒り」を表すかのように咲き誇る(那覇市 2013年4月15日)


「真南風(ぱいかじ)の島から」(全12回)
■2012年5月・第1回(歩くことで見えてくる沖縄 戦後67年 復帰40年 5.15平和行進で考える基地・沖縄)はこちらから
■2012年6月・第2回(木陰と風と、祈りと怒りの季節を迎えた沖縄)はこちらから
■2012年7月・第3回(「欠陥機」オスプレイが日本全国を飛び回る アメリカ軍普天間基地への配備強行で沖縄は島ぐるみ闘争へ)はこちらから
■2012年8月・第4回(沖縄の夏は勇壮な「エイサー」が彩りを添える)はこちらから
■2012年9月・第5回(「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」に10万人結集)はこちらから
■2012年10月・第6回(歴史の始まり 「非暴力」でアメリカ軍普天間基地を封鎖)はこちらから
■2012年11月・第7回(沖縄八重山諸島の3人の唄者(うたしゃ))はこちらから
■2012年12月・第8回(歴史に学ばないこの国とは?)はこちらから
■2013年1月・第9回(憲法を生かす国民の不断の努力)はこちらから
■2013年2月・第10回(そういえば……)はこちらから
■2013年3月・第11回(うりずん(初夏)の季節を迎えた沖縄)はこちらから
■2013年4月・第12回(サヨナラは笑顔で。)はこちらから


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金城正洋(きんじょう まさひろ)
沖縄県石垣市生まれ。沖縄の琉球朝日放送報道部記者。石垣島と八重山諸島の過酷な歴史と人々の交流、受け継がれてきた文化を伝える琉球朝日放送開局15周年記念特番「あんじやだ!〜むかし石垣・八重山〜」(2010年)を手掛ける。2011年には、2006年に結成された琉球朝日放送労働組合の初代執行委員長としてねばり強いたたかいから職場の非正規労働者全員の正社員化を実現し話題になった。ほかに、『週刊金曜日』への寄稿「『歴史改竄』にうずまく沖縄の怒り 9.29に島ぐるみの"反転攻撃"」、「土地収用法で反対派に揺さぶり 『軍用』の懸念残る石垣島空港」、『教育と文化』(48号)にルポ「教科書検定に沖縄県民の怒りが広がる」(いずれも2007年)など。

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